小久保 隆:森に囲まれたログハウスでの空間オーディオ制作 

緊急地震速報の音や、携帯決済音のiDの音など、誰もが一度は聴いたことのある有名な音のデザイナーであると同時に、いま海外で大きなムーブメントとなっている、ジャパニーズ・アンビエント界の重要人物、小久保 隆。この度、小久保氏が森に囲まれたスタジオに導入したのは、ジェネレックのスピーカーとRME/Ferrofishを使った7.1.4システムでした。この記事では、単に導入事例として機材の紹介を行うだけではなく、バイノーラルマイクで収録した作品を多くリリースしている生粋の立体音響アーティストである小久保氏ならではの視点と感性から、いま、どのように空間オーディオに取り組んでいるのか、詳しくお話を伺ってきました。


 スタジオについて教えてください

このスタジオなんですけども、まず場所としては山梨県の北杜市で甲斐駒ヶ岳という3000m級の山があるんですけども、それのちょうど700mくらいの、そういう意味ではちょうど山の中腹というかですね、森に囲まれた自然の中にあるログハウスのスタジオです。

 

 

ジェネレックを使い始めたきっかけは?

僕も若い頃から都内のスタジオで仕事をすることがあって、都内の大手スタジオって、大体ジェネレックのラージが入っているわけですよ。僕は20代くらいのころから宅録っていうか、自分のスタジオでマルチで録りながらということをやってきたわけだけれども、でも、納品して最終ミックスをやる時には大きな都内のスタジオを使っていたから、やっぱり音を自分で作っている時も、その都内のスタジオっていうのが、どう鳴るかっていうのが自分の頭の中にいつもあって、それが基準なんですよね。基準がジェネレックだったので、今、こうジェネレックが鳴っている……ということは、都内のスタジオのジェネレックではこう鳴る……っていう、変換の方程式が自分の頭の中ではできているんですよね。 なので、僕にとってはジェネレック一択しかなかったというか、他と比べてもしょうがない、ということもあって……。つまりは、もう業界の標準の音がジェネレックの音だったものだから、僕はそれに乗っただけというのが、ジェネレックを選んだ理由ですね。

ジェネレックに対するブランドのイメージっていうのは、当時からもそうだし、いまもそうだけども、安定している良い音、というそのひとことですかね。

 

今回のスタジオ・リニューアルに至ったきっかけは?

もともと僕はバイノーラルの録音とかをしたりとかして、僕の音楽って2チャンネルの音楽じゃないんですよね。もとから立体音響っていうか……特にやっぱり自然の中で、自然の音を360度の立体で聴いている…この状態が僕にとっての最高の音楽の状態っていうのが、自分のコンセプトにはあったから、その意味ではイマーシブな音空間っていうのは、僕の中では当たり前であったと。

ところが、この時代になって、Dolby AtmosとかDTS-X とか、いわゆるイマーシブ・オーディオという言い方が出てきて、その音のあり方を自分でも体験してみて「もうこれは、この形でないと僕の音は作れないな」と確信できたのです。 また、一番大きなきっかけはですね、Dolby Atmosの7.1.4chの「4」ですね。4チャンネル分上にあるっていう……5.1サラウンドももちろんやってきたのですが、やっぱり上があって下があってっていう、フロアとトップの関係で音が作れるっていうのが、すごく僕にとっては魅力的だし、「これからの音楽、そういうことだよな」って確信したんですよね。これからは上と下にちゃんとサラウンドの音が広がっていく、そういう「イマーシブ・スタジオ」で作る!と。そして、その音を全世界に発信していきたい! そういう思いが強くあったのがきっかけです。

今回導入したスピーカーモデルは?

今回、リニューアルに際して導入したジェネレックのスピーカーですが、7.1.4フォーマットですから、まずフロアの7つ(ミッドレイヤー)。この7つは8331を使っています。それから、7.1.4の「4」の部分(ハイトレイヤー)は、8330を使っています。それから7.1のサブウーファーに当たる部分なのですが、これはちょっと変則的なんですけども、(以前から所有していた1039を指し)このラージの低音成分のみだけを贅沢に使っています。つまりLFEの成分は、このラージのウーファーから出ている成分だけを使って制作しています。

 

なぜDolby Atmosの7.1.4フォーマットを採用したのでしょうか?

Dolby Atmosの7.1.4フォーマットに決めたのは、Appleがそこに行ったからですかね。Apple Musicが7.1.4というのを勧めてきたから、だったら僕も半分アップル信者であるので(笑)、僕もアップルの意向に乗りましょう、とそんな感じでした。

ミッドレイヤーには、3Way同軸の8331を採用。背面に写るのは1039
ハイトレイヤーには2Wayの8330を採用

 

GLMの自動補正機能を使ってみた感想は?

今回、GLMのキャリブレーション機能を使わせてもらってて、それもびっくりしたんですけど、僕も何十年っていうジェネレックのファンであるからして、GLMっていう言葉自体は知っていたけど、やっぱり純粋にスピーカーの音の良さとか、そういうのが先に前に出てきちゃっていて、GLMというのはオマケのような機能だろう、というような感覚でいたんですよね。ところが、実際にGLMを使ってみて、「あれれ!」って。目からウロコじゃないですけど、ジェネレックの本質というのはこっちじゃないかと感じました。 ジェネレックのスタジオ・サウンドへの考え方というのが、GLMにすごく出ていて、「スタジオの音作りってこうあらねばならんのだよ」っていうのが、トータルにデザインされている。単にスピーカー個々のデバイスの性能が良いっていうだけじゃなくてね。

GLMのもう一つの特徴はですね、このイマーシブ・スタジオの音響のセットを何個かのモードに切り替えることができるようになっていて、例えばうちの場合だと、例えば、スクリーンを降ろすと、少し響きが変わるわけですよね。僕はそれを、「シアター・モード」と呼んでいますけど、この「シアター・モード」という名前で登録しておけば、それを瞬時にリコールすることができますし、音楽制作モード、つまり「クリエイティブ・モード」の時には、スクリーンがない状態で最適化された音場へ瞬時に切り替えられる。 それから、僕の場合はイマーシブで作る時と2チャンネルステレオで作る時と、2種類あるので、その時のモードの切り替えもGLMでメモリーしておけます。「今日は2chステレオの仕事だから」という場合は、2chステレオモードをリコールすれば良いし、「あ、今日はイマーシブだから」という時は、イマーシブモードをリコールすれば良いし、「いまから映画を見るぞ!」っていったら「シアター・モード」をリーコールすれば良いので、すごく便利に使えています。

小久保さんにとって「正確なモニタリング」とは?

僕にとっての正確なモニタリングっていうのは、何て言うかな、その場での自己満足の音ということではなくて、やはり僕らはプロとして、色々な人達が色々なシチュエーションで聴いている、その聴いているものをちゃんとケアした上で、音作りをしたいし、音を決めたいんですよね。 「さぁ、いま作っている」という環境が、ちゃんと変換できるように聴こえないと、正確なモニタリングとは言えないわけですよ。僕らはプロだから、僕らの作品を良い再生空間で聴けている人もいれば、そうじゃなく、例えばヘッドホンで変換された音を聴く人もいるとか……そういった「マス」に対しても答えを出さなきゃいけない。で、その時にですね、そのモニターがいい加減だと、ここでは良かったけども、別の場所ではダメだった、ということが起こるんですよね。 ジェネレックがすごいところは、僕は今回、フロアの7本は同軸タイプのスピーカー(The Onesシリーズ)を選びましたけども、この同軸の位相特性の良さとかですね、特にイマーシブ環境になると、音の移動とかですね、音の定位感とかですね、そういうのがすごく大切になってくる。それをまずはモニターとして正確に聴けないと、それがどう伝わっているかって分からないじゃないですか。簡単に言うと、例えば、テレビで、4Kだ8Kといったキレイな映像で、これで良しとしていたのを、さぁ家庭のテレビで見ようという時に、ハイビジョンで見ている人がいました、と。そういう時には、実際にこういうふうに見えているんだというのを、ちゃんと分からないとダメなんですね。解像度の一番高い状態が正確に把握できていないと、ダウン・サイジングした時の音って想像できないわけですよ。それができるということが、何しろ大事で……僕も色々なスピーカーを聴いていますけども、ジェネレックの、同軸タイプ、The Onesのシリーズは、そこに関しては、ずば抜けて正確な音を出してくれる。それはもう、唯一無二だと思います。

 

再生機器、制作環境について教えてください

ここのスタジオの制作環境、つまりジェネレックのスピーカーに行く前の機材構成ですが、まず僕の場合は、音楽を作る時にLogic Proを使うので、MacにMADIface USBを接続しオーディオ・インターフェースとして使っています。そして、MADIface USBからOpticalのMADIケーブルを使って、FerrofishのPulse 16 MXをつなげています。で、Pulse 16 MXはその名の通り16イン/16アウトがありますから、16チャンネルの中の7.1.4にあたる12チャンネルを出力しています。 そして、その12チャンネルのアウトプットを、部屋の後方にあるATLのデジタルのミキサーに通しています。ATLのミキサーは、24イン/16アウトの仕様になっているので、その16アウトの中の12チャンネルをジェネレックのスピーカーに繋いでいます。まぁ、正確には部屋の前方で、サブウーファーと2chステレオ用モニターとして使っている1039もあるので、そういう意味ではアウトが全部で14チャンネル使っている形になっています。

Ferrofish Pulse 16 MX

 

小久保さんは、ジャパニーズ・アンビエントというムーブメントをどの様に見ていますか?

海外において、ジャパニーズ・アンビエントというキーワードがやたら聴こえるようになってきて、僕としてもびっくりしているんですが、特に日本のアンビエント界のエポックとして大きかったと思うのは、2020年のグラミー賞候補に、日本の1980年代の環境音楽をまとめたコンピレーションアルバム『環境音楽』がアメリカで発売されたのだけども、それがグラミー賞のヒストリカル・アルバム部門の候補に挙がったりとかして…そこからジャパニーズ・アンビエント・ミュージックっていうのが注目され始めて、広がってきている……そんな感じがしていますね。だから今まで僕は、そんなに海外に注目されているとは意識していなかったんですよ。ところが最近、例えば、僕の音楽をSpotifyで聴いている方々の国別の統計とかを見ると、圧倒的に海外のほうが多くて……というか圧倒的に日本が少なくて、日本で聴いている人たちが3%で、97%が海外の人たちという状況です。まぁそのくらいにジャパニーズ・アンビエントっていうのが世界的に広まって来ているのかなって感じですね。

制作時に、どの様に空間表現を意識しているのでしょうか?

作品作りと空間性っていう意味ではですね、僕の音の作り方って結局は、森の中で鳥たちの声を聴いて、風が吹くと森の木々たちの葉が擦れる音が聴こえてきてとか、横にせせらぎが流れていて、とか、何かそれが僕にとっての音楽の原体験というか、だから、サイバーフォニックっていうバイノーラルのマイクロフォンを使って……まずは一番気持ち良い空間にいて…自分の中で「あぁ、こういう気持ち良さだよな」っていうのを感じ、その感じをもっともっとブーストしていくためにどういう音楽があるべきか、みたいなことで音楽を作っていく。そうやって醸し出していくっていうのが僕の作り方なんだけども、まぁ基本的にですね、もう2チャンネルではないんですよね。最初から360度音に囲まれた状態が、僕の中では基本になっているので、僕は2チャンネルの時代から、それを基本として2チャンネルのなかでも360度の音のあり方というのを意識しながら作ってきました。なので、僕が思っている音の出し方が、非常にフィデリティの高い再現性の高い形で、やっとできるようになったっていうのが、いまの状態だなと思っています。

そして、なぜジェネレックを選んだのかというと、やっぱり位相特性なんですよね。位相特性なんていうと分かりにくいのかもしれないけども、簡単に言うと、音の定位、音の移動っていう部分。映像でいうとフルハイビジョンみているのと4Kで見ているのと、8Kで見ているのとっていう時に、僕の感覚でいうと、普通のイマーシブの音のモニタリングってフルハイビジョンだとすると、ジェネレックの8331で聴いた時のフィデリティというか解像度は、4K通り越して8Kの感覚で映像を見ているような……それくらいの感覚があるんですよね。多分これは聴いてみてもらわないとわからないと思うので言葉では伝わらないと思うんですけど、でも、本当にそのくらい。それがあるからこそ、デザインができる、音を作っていくことができる。 例えば、もう少しプア(解像度の低い)イマーシブ・システムだったら、そのフィデリティ、解像度は下がるんだけども、例えば8Kの映像ではもうビチビチキレイなところが見えていたのが、フルハイビジョンだとどうしてもボケますよね? このボケた感じも、8Kの映像を見ていたからフルハイビジョンでボケがこうなるっていうのがわかるというのと同じ理屈で、ジェネレックの8331、8330で聴いていたのがこれだから、もう少しプア(解像度の低い)なところではこういう感じだろうということが想像できるし、それでも大丈夫っていうことで安心できるんですよね。これがないと安心できないんですよね。例えば、プアなシステムで作っちゃってから良いスピーカーのシステムで聴いてみたら、「えぇ! こうなっちゃってるんだ!」っていうのはよくある話で、それだけはプロとしては避けたい。だからそういう意味で、プロの仕事としてはジェネレック・クオリティは必要だと思いますね。

 

 

バイノーラルマイクでの制作(サイバーフォニック)とDolby Atmosの仕組みを使った制作は何が異なるのでしょうか?

サイバーフォニックの作り方と、今のDolby Atmosのイマーシブな作り方というのは、基本的に狙っているところは同じなんですけども、システム的には全然違っていて、つまりサイバーフォニックなりバイノーラルで聴くっていうことは常に2チャンネルベースなんですよね。当然、2チャンネルの中で制作は進められなくてはいけないのですが、7.1.4のDolby Atmosのシステムでは、最初から11個のスピーカー、12チャンネルになっているから、そこから作れればいいっていう……そこがまずは違いますね。実はこの12個のスピーカーから作ればいいという制作方法の方が僕にとっては全然簡単で「最初からこれでやりたかったよ」というような話なんですよ。バイノーラルの時代に何をやっていたかというと、わざわざキューブ型にスピーカーを配置して、そのど真ん中にサイバー君(小久保さんお手製の、耳位置にマイクを仕込んだ上半身を含むダミーヘッド)を置いて音を立体的に動かすっていうような(手をぐるぐる回しながら)こんな音の動かし方を、まずは8チャンネルキューブに配置したスピーカーから再生し、サイバー君で録って2チャンネルバイノーラルにしていました。その2チャンネルバイノーラルをヘッドフォンで聴きながら、音楽的にあーだこーだという風に、バイノーラルの中で作っていくっていう……そんなやり方をしていたんですよね。でも、今だったら、それがリアルに聴いたままで作れるわけです。サイバー君を使った場合は、ヘッドホンで聴くとどう聴こえるんだろう……そして、ヘッドホンで聴かない人もいるので、ヘッドホンで聴かない人にはどう聴こえちゃうんだろうって、そういうところまでケアしながら作らなくちゃいけなかったので、結構大変だったんですよね。そういう意味では、お客様に届く最終形をかなり再現性高く感じながら作れる、今のイマーシブ・スタジオの作り方のほうが、とても安心で、楽ですね。

 

小久保 隆 Takashi Kokubo
環境音楽家、サウンドデザイナー、メディア・プロデューサー、株式会社スタジオ・イオン代表取締役、放送大学 非常勤講師

「ウィー、ウィー、ウィー」の携帯電話緊急地震速報のアラーム音や、電子マネー「iD」のサイン音、ドコモのメロディコール初期楽曲などで知られる環境音楽家。 1980年代にリリースした楽曲に、UKやスイス・デンマークなどから再リリースのオファーが集まる昨今、小久保の楽曲も収録されたUSAのコンピレーション・アルバム「KankyoOngaku:Japanese Ambient,Environmental & New Age Music1980-1990」は、2020グラミー賞(最優秀ヒストリカル・アルバム部門)にノミネートされた。 自然が持つ人の心を癒す力に注目し、現代人の心に優しく響くリラクゼーションミュージックを作曲。自然に恵まれた山梨県武川のプライベートスタジオでの制作と、東京での生活というマルチハビテーションを実践しながら、脳をリラックスさせる効果のある高周波ノイズ、1/fゆらぎ、脳波測定などの理論的背景を携え、独自に開発した立体的な音を収録可能なマイクロフォン「サイバーフォニック」を使用して音楽を作りあげる。 近年ではメディア・プロデューサーとして映像制作にも力を入れており、360度パノラマ作品も手がけている。2014年には、第五回国際科学映像祭ショートプログラムコンテストにて「自然曼荼羅~調和の世界」が審査員特別賞を受賞。そのほかG-rushという音楽制作集団を率いて「エレメンタルモンスター」「天外魔境ZIRIA」(共にハドソン)など、音で世界観を演出するゲーム音楽の作品も多数。      http://studio-ion.com/

導入機材

GENELEC 8331

GENELEC 8330

Ferrofish Pulse16 MX +24

16チャンネル アナログ<> MADI / ADATコンバーター

RME  MADIface USB

モバイルPC向け USB MADIインターフェイス


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